私は子供の頃、生活保護を受けていました。父が女を作って蒸発したからです。母と警察署へ行って捜索願を出しましたが、事件性がないことから余り動いては頂けず、泣く泣く生保をお願いすることになりました。当時は審査でキツイことも言われ、真夏にエアコンを売ったり等、随分辛いお思いもしました。また、それまでは働いたことの無い母はパートで働きはじめましたが、姉と私の3人の生活には足りず、大変でした。

2〜3年程したある日、探していてくれた父の弟から連絡があり、父が高円寺のパチンコ屋で発見されたのです。我が家から45万円を持ち出し、女と同棲、しかもパチンコをしていたのです。

弟の説得で戻って来ましたが、当時、小学3年生の私には泣きながら戻って来た父の姿には衝撃でした。

それからは働いてはいましたが、歩合だったため収入は安定していませんでしたが、当時一番辛かったのは、母が精神的におかしくなり、毎日叫んだり、父と喧嘩していたことです。今思えば、今で言う鬱状態だったのかもしれません。

そんな状態が何年か続き、私が社会人になったある日、また父が出て行ってしまったのです。今度は女を作ったのではなく、当時は景気が良かったせいか、お金にも少し余裕が出て、母とのそんな生活が嫌になったため、一人で生活をはじめてしまったのです。私は家族を二度捨てたと思いました。

寂しくなったせいか、今度は母が同じ団地に住んでいるタクシー運転手の男を作ってしまったのです。毎日、朝方まで飲み明かす始末。私は何度も母やタクシー運転手と喧嘩をしました。父を説得し、戻って来て、離婚も成立しました。翌年、私も結婚し、ようやくこれまでの不幸から抜け出せると思いました。

しかし、翌月の夜中、一本の電話が鳴りました。母が遺体で見つかりました。死亡解剖の結果、お酒の飲み過ぎによる肝硬変での急死だったようです。第一発見者はタクシー運転手でした。

それからは父ともうまく行っていましたが、歩合の仕事をしていたせいで、景気が悪くなり悪化して行き詰まり、借金を作って再び、生保をお願いすることになりました。
また、糖尿病を発症し、糖尿病から来る慢性腎不全で今年のあたまに血液透析へ移行しました。私の家族とは分離して生活しており、今までの自業自得により、年金も未払いでした。一昨年、未払い分を払い、ようやく最低限を受給することが出来ましたが、不足のため、月に1〜2度は訪問し、食料やお金を置いて来ていました。
透析へ移行したこともあり、今年の7月から施設入居しましたが、認知症が進行した影響か、私に暴言を吐いたり等、若干トラブルもあって、今月までで、15回、半分呼び出しのような形で訪問しました。この事は私の家族にも正直には言えていません…。
また、私も心臓の弁膜症と診断され、今年、心臓カテーテル検査を受け、いつ心臓手術を受けるか、分からない状態となりました。
先日、審査の結果、父の介護認定も要介護2→4に悪化した事もあって、最近は疲れて来ました…。